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小池百合子関連記事で2008年の自民党総裁選出馬と待望を抱いた真相と福田康夫辞任前までの経緯

この時期になり、9年前の話だ。2008年の話になるが福田康夫政権下に怒りの声を挙げた時期だ。当時は山口2区補欠選挙で自民公認公明推薦候補が敗れた事や限界の所まで感じた部分で自分もそれに達した面を見せていた。当時の話は福田政権に限界を見せていた。

「小沢や菅相手に闘えない」と弱音たる苦しみを感じたからだ。あの時は正月明けから春までは試行錯誤の繰り返しでいた。「いつやるか分からない衆議院選挙が待ち構えるだけに不安要素や恐怖」を持っていたのは示していたのは振り返れば覚えている。

あの当時は民主党サイドが各選挙区に候補者を単独や比例に何人か立てては擁立、さらに調整などをしては小沢の暴走選対や次にこちらの方は野球とサッカーでいえばコーチやスコアラーならびにで先乗り、後は駅伝主務的やコーチみたいな立場を抱えたり、非常に「このままではヤバイ」と危機感を抱えたりしていた。

6月中旬あたりに岩手・宮城内陸地震秋葉原通り魔殺傷事件の直後に国会の会期末最中で大塚拓丸川珠代結婚披露宴が行われ、ついにこの私もさすがに激怒をした。あの時は「被災地の方々や亡くなられた遺族に失礼ではないか」と感じてはいた。あの披露宴で小池百合子猪口邦子が出席はしたが佐藤ゆかり、松島みどりが欠席した話は覚えているし、丸川サイドは小池と組む気はないと示したと今になり感じていた。あの時に小池百合子佐藤ゆかり猪口邦子と組むことは見えたが今は立場が変わったからだ。